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Promise in an elevator


 夏休みも目前に迫ったある夜、山百合会の夏期慰労会が行われた。
 会合という名目でお茶会をしているように、この会も慰労会と称して食事を楽しんでいるだけなのではあるが。
 某ホテルの最上階にあるこのバイキング・レストランは、ある有名なシェフが経営しているのだが、比較的安価で美味しい料理がたくさん食べられるということで、隠れた名店として一部の人間に知られている。
 見るからに甘そうなフルーツポンチを、満面の笑みで食べる祐巳。
 「ほどほどになさい」と注意しつつも微笑む祥子。
 持ってきたコーヒーに、好みのマイルド加減までミルクを入れる由乃。
 クッキーを食べながら「ん〜。これは使えそう」と研究に余念がない令。
 「このお茶美味しいわ」とカップのお茶を妹に勧める志摩子。
 勧められた乃梨子の口の端に付いているのは、抹茶ケーキの欠片だろうか。
 至極平和な、乙女たちの少しにぎやかな夕食。

「そろそろお開きにしましょうか」
 迎えの車の中で酔ってはいけないというので、酔い止めを飲んだ祥子が言った。
「そうですね、もう9時も回ってしまいましたし」
 楽しい時間とは過ぎるのも早いもので、お喋りなどをしながら食べていたら、予想外に時間が経っていた。
 精算を済ませ、エレベーターに乗り込む。そのとき。
「あっ」
「あ…」
 エレベーターの中に、ふたりの「あ」が重なった。
「あ」を発した2人はお互いの顔を見つつも、また似たような言葉を発した。
「ハンカチ…」
「ハンカチ置いて来ちゃった…」
 じゃあ、取りに行きましょうか。と祥子はもう一人を誘い、「開」のボタンを押しながらエレベーターを出た。
「先に下りといてちょうだい。私たちもハンカチ取ったら下りるから」
 他にも一緒に下りる人がいた関係から、流石に残り4人がゾロゾロと下りる訳にも行かず、閉じたエレベーターの前には2人が残された。
「面白いこともあるものね。乃梨子ちゃん」
「そうですね。紅薔薇さま」
 紅薔薇さまと白薔薇のつぼみという、なんとなく奇妙な組み合わせが、再度店の中に入っていった。

 机を片づけていた店員からハンカチを受け取り、祥子が行きたいと言ったので2人ともトイレに行った。
 待っていると程なく、今度は4人が乗ったのとは違う、もう一つのエレベーターが来た。
 乗り込み、「1」のボタンと「閉」のボタンを連続して押す。
 他に乗ってくる人はいなかった。
「ふう…。思いがけないことで待たせてしまったわね」
「そうですね。2人揃って同じものを忘れるなんて」
 お互い一言ずつ呟くと、2人は向かい合って笑った。
 現在の階を示す表示は、17から16に。この辺りは大体客室だから、そろそろ人が乗ってくるかも知れない。
 その時。
 唐突にドン、という音が響いて、エレベーターがガックンと揺れた後、止まった。
 エレベーターの中の電気も、衝撃と共に消えてしまった。
「乃梨子ちゃん!?」
「ろ、紅薔薇さま!?」
 突然の衝撃でよろめいた祥子が、乃梨子の方に倒れかかった。
 今度は控えめな、ドン、がエレベーターの中だけに響く。
「ご、ごめんなさい。乃梨子ちゃん」
 祥子はよろよろと立ち上がると、エレベーターの壁にもたれ掛かった。
 辺りは真っ暗で、互いの声でしかお互いの場所を認識できない。
「一体…何があったのかしら…」
 乃梨子がいる、と思われる方向に向かって祥子は呟いた。
「さぁ…地震でしょうか。停電もしてるようですし…」
「そうね…とりあえず、脱出は不可能だから…、助けか来るまで待ちましょうか」
 多くのエレベーターの上面には、一カ所だけ小さな扉のようなものがあるが、台もないのにそこまで手を届かせるというのは、到底不可能な話である。
「…そうするしか、無いようですね」
 2人は、暗いエレベーターの中に取り残されてしまった。

 
 乃梨子の腕時計は11時を指していた。
 エレベーターに閉じこめられたのが9時半ぐらいだったから、かれこれもう、1時間半もこうしていることになる。
 初めのうちは、座り込んで原因の予想などをしてぽつりぽつりと話していた2人だったが、1時間も経つと、話すネタに困ってしまって、静寂が続いていた。
 2人を包むのは、暗闇。僅かに乃梨子のしている時計の針の塗料が、光を発しているだけだ。
「…誰も、来ませんね」
 エレベーターの外も中も静寂そのもの。エレベーターの中からも、返事がない。
「紅薔薇さま?」
 静寂、を破るように、微かに息の音が聞こえた。規則的な息の音。
「…寝ていらっしゃるのかなぁ」
 乃梨子が呟いたとき、カサカサと服のかすれる音がした。
「あら、嫌だ。少しうとうとしてしまったみたい。…乃梨子ちゃん?」
「はい」
「まだ、誰も来ないの?」
「そうですね…。何の音もしません。地震だとしたら、もう皆さん避難されたのではないでしょうか」
 はぁ…、という溜息。
「あとどれくらい、こうしていなければならないのかしら…」
「そうですね…。明るくなったら確実に。明日の朝までには最悪出られると思いますよ」
「…明日の、朝?」
「あ、もしかしたらもうちょっと早く助けが来るかも知れませんし…。あの、何でしたらもう一度お休みになったら…」
「眠れないわ。いいえ、まだ眠りたくないの。寝ている間にもし何かがあったとして…。御陀仏なんて絶対お断りよ」
「えっ?」
 リリアンに通う生徒、それも紅薔薇さまの口から「御陀仏」なんて言葉が出たのは、何ともミスマッチだと乃梨子は思った。
「冗談よ。明日の朝まででも、こうやって待ちましょう」
 こうやって。
 いつの間にか、紅薔薇さまは乃梨子のすぐ横にいた。
 自然に肩と肩が触れあう距離。
「でも、助かったわ」
「何がですか?」
「こうやって、閉じこめられたのが私一人じゃなかったこと。乃梨子ちゃんが一緒にいてくれること」
「それなら私だって、同じことが言えると思います。でも…」
「でも?」
「紅薔薇さまは、閉じこめられるのなら、祐巳さまと一緒が良かったのではないですか?少なくとも、私よりは」
 紅薔薇さまは悪戯っぽく笑って言った。
「あら。そういう乃梨子ちゃんは志摩子と一緒に閉じこめられたかったんじゃないの?少なくとも、私よりは」
「あ、でも。一人で閉じこめられるよりは、数倍ましですから」
「まし?」
 紅薔薇さまにちらりとにらまれて、乃梨子は焦った。声にトゲがあったので、にらまれた気がしただけだったのだが。志摩子さんもマリア様のような美人だけど、紅薔薇さまも当然美人。
 流石の乃梨子も、温室育ちの美人ににらまれて普段のように冷静ではいられない。
「あ、あの。それは、でも。あの。別に紅薔薇さまが嫌って訳じゃなくって」
 身振り手振りで、相手には届かないだろうけれども、疑念をとこうとする。
「ふふふ。冗談よ。私だって一人で取り残されるよりは、乃梨子ちゃんとの方がよっぽど”まし”よ?」
 「祥子さまがあんな風に冗談を仰るのは、祐巳さんと姉妹になってからなのよ」と、志摩子さんが言っていたのを乃梨子は思いだした。「以前はもっと気むずかしい方だったわ。きっと祐巳さんが祥子さまの重荷を取り除いて差し上げたのね」
(そんな紅薔薇さまを、こんなに明るくしてしまえる祐巳さまっていうのは…)
 普段はちょっと抜けてるところもある、むしろそれが殆どな気もする「紅薔薇のつぼみ」。
 でも、よく見ると実は計り知れない包容力のあるようなその人格に彼女の素晴らしさなのではないか、と乃梨子は思った。
 いつしか、蛍光塗料で光った時計の長針と短針は一番高いところで重なっていた。

 高校受験の追い込みの頃でも、こんな時間まで起きてたことはなかった。乃梨子がそんな風に感じるほど、時間は経っていた。
 「眠れない」と言っていた紅薔薇さまも、もう一度寝息を立てている。
 うとうとし始めの頃は、乃梨子の方に頭が傾いては持ち直す、ということを何度か続けていたが、いつしか乃梨子の肩に当たってから持ち直すようになり、最終的には今の状況、紅薔薇さまの頭は乃梨子の右肩の上で制止してしまった。
 身動きが取れなくなってしまった乃梨子は、ずっと福沢祐巳という人間について考えていた。
 福沢祐巳、紅薔薇のつぼみ。
 普段の彼女を見る限りでは、彼女は平均を地でいくような高校生で、どこか抜けてるところがあるというのが平均より上を行くところぐらい。
 その祐巳が何故、紅薔薇さまをここまで変えることが出来たのか。
 紅薔薇さまの背負っているものを、ここまで軽くすることが出来たのか。
 そこに、「つぼみ」として何か見習うものがないだろうか。
 乃梨子の姉「志摩子さん」も、重荷を背負って生きている。それを軽減することができるだろうか。
「…ふう…」
 分からない。受験勉強では到底太刀打ちできないような難題が、そこには控えているように思われた。
「…ん?乃梨子ちゃん?」
 溜息のはずみに肩が動いてしまったのか、紅薔薇さまは目を覚まし、身を起こして乃梨子の方を向いた。…ように思われた。2人の間は依然暗闇が支配している。
「あ、申し訳ありません。起こしてしまったみたいで…」
「いいのよ。それこそ、私が寄りかかってたみたいだし」
「…」
「…」
 数秒の沈黙の後、紅薔薇さまが口を開いた。
「でも、乃梨子ちゃんはしっかりしてるのね」
「しっかり?」
 乃梨子も中学の頃などは、友達の親に「二条さんはしっかりしてて良いわね。うちの子も見習わせたいぐらい」とか言われることは多々あったが、それと紅薔薇さまに言われるのでは何か違う気がした。
 その頃は、その「しっかりしていて良いわね」に辟易することもあったが、今紅薔薇さまに言われた「しっかりしてるのね」は素直に受け取れる、そんな気がした。
「こんな状況になっても、冷静でいられる。今、私は必死に冷静さを保とうとしているんだもの」
 今までのんびり寝ていた人が何を言う、と思いながらも、乃梨子は口を挟まなかった。
「でも、乃梨子ちゃんはそんなことおくびにも出さないわ。寂しかったでしょうに、こうやって安心して私を寝かせてくれた。目が覚めたとき、もう少しこのままでいたい、とも思ったわ。乃梨子ちゃんは、まだ高校に入って間もないのに…」
「…紅薔薇さまとは2つしか違わないじゃないですか」
「学生時代の2つは大きいの」
 笑いながら紅薔薇さまは言った。そして、真顔になって(乃梨子には見えなかったが、なった気がした)続けた。「あなたが妹になって、志摩子も安心ね。あなたなら志摩子を支えていける」
「私が…志摩子さんを?」
「そうよ。あなたみたいなしっかりした子がいて初めて、志摩子は前に進んでいくことが出来るの。去年は聖さまが−−表面には出ないけど、守っているようなところがあったわ。でも、今年は薔薇さまなのだし、ね」
 紅薔薇さまは、敢えて乃梨子の「志摩子さん」を注意しようとはしなかった。
「乃梨子ちゃんも分かっているでしょう。志摩子は外見はしっかりしているけれど、一度崩れると脆いってこと」
「はい…、知っているつもりです」
「志摩子にはしっかりした妹が必要。そして、あなたは。そうね、あのマリア祭の日。あなた、私たちに教室の前で反抗したでしょう?」
「そ、そんなこともありましたね…」
 今となれば、この人に反抗したなんて恐ろしい話。よくあんなことができたものだ、と乃梨子は思った。
「あの時にね、『ああ、乃梨子ちゃんなら、充分に志摩子の妹としてやっていける』と思ったわ。最初は、単に志摩子に告白させるためのキャストのつもりだったのに」
「だから、なかなか進展しない私と志摩子さんをけしかけるようなことまでした、ということですね」
 しかし−−。乃梨子は自問した。果たして、自分は紅薔薇さまの期待に応えているのだろうか。
「そうね。でも、後から考えてみたら、人の姉妹のことに口を出してるような場合では無かったようだけれど」
 乃梨子は詳しい事情は知らなかったが、志摩子さんは、どん底にあった紅薔薇さまを救ったのは祐巳さまだったと言っていた。
(…何故祐巳さまは)
 乃梨子の思考は、また振り出しに戻った。しかし、その前に、乃梨子の頭にまた一つの疑問が浮かんだ。
(…何故紅薔薇さまは)
 それは、乃梨子の脳内を、乾いた地面に水が染みこむように広がった。
「何故」
「え?」
「何故、紅薔薇さまは、祐巳さまを妹になさったのですか?」これでは伝わらないかな、と考え、乃梨子は言い直した。「何故、祐巳さまを妹に出来たのですか?」
 一見、何の変哲もない下級生を、どの様にして見いだしたのだろうか。
「では、私からも反問。何故、乃梨子ちゃんは志摩子の妹になれたのかしら?」
「それは…、皆様の『荒療治』が効いたからではないのですか」
「そうね。でも、それは単なるプロセス。もっと根底に…、きっかけとなるような出来事があったのではなくて?たとえば、そうね。初めて出会ったときとか」
 桜。校舎の裏にひっそりと立つ桜は、ある意味、乃梨子と志摩子さんの象徴。
「他の人からは何の変哲のないもの。それでも、それが人間を結びつけることだってあるの。マリア様が私たちに与えて下さった奇跡のようなものね」
「マリア様が…」
「ああ、乃梨子ちゃんの場合だったら、仏様と言い換えても良いけれど。だから、誇りを持っていいと思うの」
「誇り?」
「乃梨子ちゃんたちは、マリア様、そして仏様が結びつけて下さった姉妹。世界中の多くの人が崇拝する聖人2人が祝福している姉妹なのよ。だから、気負わなくて良いの。無理に志摩子のことばかり考えて悩まなくても良いのよ。きっと、マリア様も仏様も、そのようなことは望んでいらっしゃらないでしょうから」
 この人には敵わない、と乃梨子は心の奥で舌を巻いた。暗闇の中にいても、目の前にいる人間の心を見抜いてしまえる力がある。
「そして、乃梨子ちゃんにはずっと志摩子の側にいて欲しいの。姉としては、卒業して、妹と別れるということは、この上なく辛いことだと思うの。私は祐巳に、どういう関係であれ、一生関わっていたいと思うもの。志摩子は、喪うことを人一倍恐れる子だから、きっとその気持ちも強いと思うわ」
 卒業するまでは、志摩子さんにくっついて離れない。それは、乃梨子が志摩子さんと姉妹の契りを結んだときにした宣言だった。
「ずっと、ですか。果てしない話ですね」
「そうね、では、卒業10年後まで。そして、その時になったらまた約束するの。その先10年もまた一緒に、って。約束が重なれば、それは永遠になるわ。たとえそれが小さな約束でも」
 10年後。ずっと、というよりは遙かに具体的な話だった。
「分かりました。約束します」
「もう一度聞かせて」
 志摩子さんにしたよりも、もっと長い約束を何故か紅薔薇さまと。
「卒業して、10年間は志摩子さんにつっくいて離れません」
 何時間も沈黙を続けていた電灯が、再び明るい光を発した。


 エレベーターが動き出した。
 16から始まって、15、14…。階を示す数字はどんどん小さくなっていく。
 それはすなわち、紅薔薇さまと祐巳さまの距離。そして、乃梨子と志摩子さんの距離。
 7を過ぎたとき、紅薔薇さまが呟いた。
「さて。誰よりも、志摩子が安堵するでしょうね」
「え?何故分かるのですか?祐巳さまじゃなくて?」
「ないしょ」
 周りが明るくなってから、初めて紅薔薇さまの顔が緩んだ。
 紅薔薇さまも祐巳さまと会えるのが嬉しいのだ。
 何時間も経っていたけれど、きっと山百合会のメンバーはそこで待っていてくれる。そんな確信が、仲間に入ってから日の浅い乃梨子にもあった。
 3、2、1…。
 ゆっくりとエレベーターが止まり、ドアが開いた。
「お姉さま!」
「乃梨子!」
 2つの声が重なった。それは、暗闇の中で2人が待ち望んでいた声。
「あっ…」
 祐巳さまは、暖かく姉を迎えようとしてにっこりと笑った。しかし、志摩子さんは…。
 周りの目も憚らず、乃梨子に抱きついて泣いたのだった。
 それは、とりもなおさず安堵の涙。
「誰よりも、志摩子が安堵するでしょうね」
(…紅薔薇さま、あなたの仰る通りでした)
 乃梨子はちらりと、志摩子さんの向こうにいる紅薔薇さまと視線を合わせて微笑んだ。


〜あとがき〜(企画用に書いたものです)
 多くの方、初めまして。「薔薇とロザリオ」というHPをこっそり運営している、今泉織名と申します。
 こういう企画に参加するのは初めてなので…、緊張しました。
 それと共に、多くの著名な方々の作品と自分の作品が並べられると考えると、かなりのプレッシャーもありました。
 そこで、祥子さまと乃梨子ちゃんという、普段くっつけにくい組み合わせで書いてみました。自己アイデンティティの確立のために(笑)。
 終盤は、どの様に終わらせるか、結構苦労しました。序盤はすんなりいけたのですが。
 終盤悩んでる間に、地震や台風で。閉じこめられるのが笑い話じゃ無くなったのが反省点です(苦笑)。