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White will


 そう。お姉さまは何の前触れもなくやってくる。
 私にロザリオを渡したときがそうであったように。
 それは、卒業式を終えた後でも変わることはなかった。

 呼び鈴を鳴らした人は、私の予期せぬ人だった。
「志摩子。今日、暇?」
「暇…ですけど?」
 春休みの初日。志摩子の家を訪ねてきたのは、他ならぬ志摩子の姉、佐藤聖さま。
「うん、オッケー。じゃあ行こうか」
 行こうか、と簡単に言われても、何処に行くのか分からない、そう訪ねると。
「どこでもいいじゃん。まあ、強いて言うなら服は軽装の方がいいかな」
 準備もそこそこに、私は、お姉さまの車に乗り込んだ。むしろ、お姉さまが無理矢理乗せたと言った方が正しいかも知れない。
「それじゃあ、出発〜」
 2人を乗せた車は、私の家を出発した。

 運転するお姉さまの顔を盗み見る。
 まだ慣れていないようで、ハンドルを握る手は少々力がこもっている。
 今まで、お姉さまが私を誘ってどこかに出かけたことがあっただろうか。
 由乃さんの所のように家が隣同士な訳でもないし、祐巳さんの所のように端から見てても微笑ましくなれるような姉妹であるわけでもない。周りから見ても、これがほんとに姉妹なのだろうかと疑われてもいい関係かも知れない。
 でも、私たちはもっと深いところで繋がっている。言葉では言えないが、お姉さまは私のありのままの姿を見てくれる。そう感じ、そう信じたからこそ、お姉さまの差し出した手を取った。
 その結果がこの関係なのかも知れない。少し離れて、お互いに重荷にならないように。
 2人を引き合う万有引力の小さな重みを、私は心地よく感じてきた。
 その重みも、もう無くなってしまう。
 お姉さまは数日前、リリアン高等部を卒業した。

 車を駐車場に止めると、お姉さまは私を先導して駅に向かった。
 そこで2人分の乗車券と特急券を買うと、一人分を私に渡した。
 私が代金を払おうとすると、
「いいからいいから。私が誘ったんだし」
 とだけ言って、改札の方に歩いていってしまった。
「お姉さま、待って下さい」
 私はあわててお姉さまの後を追った。

 駅を出てから1時間と少しが経っただろうか。
 電車は海を臨む高台に出た。
 東京湾とは違う、奥まで見つめてもただ海があるだけ。海は光を乱反射して、まぶしい。今日も暑くなりそうだ。
「きれい…ですね。お、お姉さま??」
 事もあろうにお姉さまは、この景色を前に、ぐっすりと眠っていた。
 お姉さまが私を呼び出したのは、何のためだろう。

 こうやって、お姉さまの顔を何分見つめただろう。
 水平線をバックにしたお姉さまの顔は、いつもに増して美しかった。
「ふ、ふぁ〜…」
 お姉さまが大きな口を開けながら伸びをした。
「あ、志摩子。おはよう」
「お姉さま、お姉さまのファンを悲しませるようなポーズはとらないで下さいね」
 お姉さまは、大きく開いた口を少し動かしてニッコリと微笑むと、両手をゆっくりおろした。
「じゃ、降りようか」


 駅を出て、街を抜けると、私たちは海岸に出た。
 流石に春も始まったばかり。いくら、今日が暑い日だといっても、泳いでるような人は当然いない。
 海岸に2人。白い肌は、白い砂浜にとけてしまいそうだ。
 お姉さまは砂の上に座り込むと、私にも座るように促した。
 私はお姉さまの横に座った。2人で海の方を向いて。
「志摩子…」
「なんですか?」
「あのね、志摩子。私うれしかった」
 唐突に何を言い出すのだろう。この人は。
「静から聞いたよ。“志摩子さんに振られてしまいました”って」
 私が…、静さんを振った?
「静が志摩子を妹にしようって言ったときに、言ったんでしょ?“私のお姉さまは、佐藤聖さまただ一人です”って」
 ああ、あの時のことか。あの時は立候補するかどうかで悩んでいたからはっきりは覚えてないが、そんなこと言った気がする。
「あの時ね、なぜだか知らないけど、とてもうれしかった」
「そんな突飛なことを言った気もしませんけど」
「そうだろうね。でもうれしかった。私のことを唯一の存在と見てくれるひとがいることが。蓉子でも江利子でもなくて、私だってことが」
「それは…、佐藤聖さまが、私のお姉さまであるからです」
 堂々巡りな気もしたけど、それがいちばん正しい答えだと思った。
「私のありのままを見て、私を導いてくれるお姉さまであるからです」
 お姉さまは満足そうに頷いた。

 ほんの一分間だった気もするし、一時間よりも長かった気がする。
 どれだけの時間こうしていただろうか。
 私たちは、お互いが崩れてしまわないよう絶妙なバランスで、海を見ながら寄りかかっていた。
 いつしかお姉さまの呼吸は、規則的になっていた。
 母なる海とはよく言ったもので、人は海を見ると眠くなってしまうのだろうか。
 私たちの数ヶ月もこんな感じだったかも知れない。
 目には見えない、けれど均整の取れた関係で、お互いどこかで依存していた。
 お互い、どこかでお互いの存在を確かめながら安心していた。
「志摩子」
 気がつくと、お姉さまが私を見ていた。
「お姉さまがね」
 お姉さま?あ、お姉さまのお姉さま。私の所謂お婆さまか。顔は知らないけれど。
「お姉さまが、卒業するときに私に言ったの。“大事なものができたら、自分から一歩引きなさい”って。志摩子は私の過去を知らないし、知ろうとも思わないと思う。けどね、私は過去の過ちを繰り返したくなかったの。だから、私はその言葉を守った。そのことで志摩子に寂しい思いをさせたかも知れない」
 お姉さまはそこでいったん言葉を切った。
「いいえ、お姉さま。引いたからこそ生まれる関係もあります」
 近すぎると、一カ所は集中して、鮮明に見えるかも知れない。でも、離れて見るからこそ、全体が見えるものだ。
「うん。そういう考え方もあると思う。でもね、志摩子はそうやって自分から一歩一歩引いていく癖があるの。私はそれが悪いことだとは思わない。でも、志摩子が言ったように、引いてこそ生まれる関係があるのなら、一歩踏み込んでこそ生まれる関係もあるんじゃないかな?」
「踏み込んでこそ生まれる関係…ですか」
「そう。だから、将来志摩子にどんな妹ができるか分からないけれど、その時は一歩踏み込んでみたらいいと思うよ。踏み込むには勇気がいるかも知れないけれど、踏み込んでから引くことはいくらでもできるからね」
 私に妹…、全然想像できない。自分のことだけで精一杯なのに。
「それは、祐巳ちゃん達との関わりの中でも一緒」
「それが、遺言…ですか」
 祐巳さんは蓉子さまに呼び出されて、祥子さまを頼むと遺言めいたことを言われた、と言っていた。これもそのようなものなのだろうか。
「遺言、とはちょっと違うかな。これは私からのアドバイス。私は死ぬわけじゃないからね。卒業するといっても、蓉子や江利子のように他の大学に行く訳でもないし」
「お姉さまっ」
 私は、お姉さまの胸に飛び込んで泣いた。特に泣くような理由もなかったのに、感情の高ぶりが抑えられなかった。お姉さまはしっかりと私を支えてくれた。

「すっきりするらしいよ」
 私が泣きやむと、お姉さまは私にポケットティッシュを差し出した。
「なんだか、しんみりしちゃったね」
 鼻をかんで、お姉さまにティッシュを返すと、お姉さまはおもむろに靴を脱ぎだした。
「ほら、志摩子も脱いで」
 私が靴下まで脱ぎ終わると、お姉さまは立ち上がって私の両手を持つと、軽々と私を引っ張って立たせた。お互い腰についた砂を払うと、お姉さまは私の右手をとった。
「いくよっ!」
 言い終わるか終わらないかといううちに、右手が強く引っ張られた。腕が抜けてしまわないように走り出す。ブレスレットのように巻いたロザリオが跳ねる。
 あ、あの時もそうだったな。私たちが姉妹になったときも。
「志摩子、ダッシュ!」
 私たちは、誰もいない、2人だけの砂浜を走り出した。

 片手だけつないで。


 〜あとがき〜
 聖さまには祐巳ちゃんって風潮がある昨今(?)、聖さまに志摩子さんをくっつけて書いてみました。如何だったでしょうか?
 個人的には、この姉妹はかなり好きです。ってか、「片手だけつないで」の章自体が大好きなんです。最後の、“志摩子、ダッシュ”のところなんか特に。
 だから、そこを入れて書いてみようと。
 何故海なのか…。理由はありませんが、雰囲気は、村山由佳さんの描く安房鴨川のイメージを基盤にしています。気になった方は、“おいしいコーヒーのいれ方”シリーズをどうぞ。
 今回は、前半を書くのがちょっと苦戦しましたが、後半は結構ノッて書くことが出来ました。